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解説:What is DEATH to you?(あなたにとって死とは何か?)

2022/09/21
日原鍾乳洞,

こんにちは。Canaryann Lab.(カナリアンラボ)英会話スクールです。

夏も終わり、台風も太平洋側に抜けて、気温が一気に下がりましたね。皆様、体調はいかがでしょうか?

本日は、Mei先生が以前アップしたブログ(What is DEATH to you?(あなたにとって死とは何か?))を解説していきたいと思います。


歳を重ねるごとに、数えきれないくらいの考え事が出てきますよね。
自分自身に向けて次のような自問をすることはありますか?

1. 何かやり残したことはないだろうか?
2. 今のうちに整理しておくことはないだろうか?
3. 貯金は適切にあるだろうか?

これらの質問は、Mei先生が普段なかなか自問することがないような質問に達するまで続けられるそう。そう、たとえば、自分は死ぬ準備ができてきるだろうか?死ぬとはどんな感じなんだろう?と。


Mei先生は、こういったことが気になって自分自身で答えを見つけようとしました。
根気よく、不気味な場所を探してみたり、そういった場所に訪れた人のブログを読んだりもしました。いくつかの興味をひくスポットから、Mei先生がまだ見たことのないスポットを選びました。

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奥多摩地区は東京にあります。Mei先生の誕生日(5月5日)の翌日に御嶽山とロックガーデンに登山したあと、東京都いう大きな都市にもこんな不思議な場所があるのだと知りました。
それで、これまで見たことがない場所、日原鍾乳洞(にっぱらしょうにゅうどう)に行くことにしました。

 

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神秘的と言われれるこの東京の天然記念物は、距離が1,270メートル、高度134メートル。ここまでの交通手段は、バスもしくは車です。

 

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鍾乳洞の中の温度は年間を通して11℃。6月の曇りのこの日、パーカーがMei先生の好みのファッションだったようです。

 

水の滴が美しく響いて、Mei先生が今までにいったことがある洞窟に比べると、予想外に怖いと感じたそうです、そう、深く、静かで、狭かったためです。

 

その空間を支配する静けさが、Mei先生にとって自分自身が生きていると実感することを通じて、この体験をもっとしたいという衝動に駆られたようです。

 

日本では地震が、不定期に起こっています。そのことだけを考えると、どうしようもなく不安になり、アドレナリンがしばらくMei先生の中に残っていたそうで、こういうことを自分自身に問いかけていました。

「地震が今起きたらどうする?どうやって逃げる?」

「避難経路は、どこを目指せば良い?」

 

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Mei先生が洞窟の入り口付近では、そういった考えが長く、スピーディに頭を巡っていたのですが、中心部に行く頃にはすっかり消え去ってしまっていました。

 

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Mei先生は、洞窟内のその自然の美しさにすっかり唖然とし、完全に畏敬の念にかられたそうです。

その場所はMei先生がどうしても気になっていた質問に答えてくれました。

その質問は、

「(亡くなった人が)6フィート(約1.8メートル)下に埋まっているのはどんな感じなんだろう?」

ということ。

 

Mei先生はそこに立って、あらゆる感情の全てを感じました。恐怖、悲しみ、無力感、孤独感、不気味な感情など、さまざまな感情がMei先生の中に押し寄せてきたそうです。

 

当然のことながら、死者の中から立ち上がって、その気持ちを語った人はいないので、棺桶の中にいるときは感じないのかもしれませんが。逆にそれを感じていたらちょっと怖い(笑)。今日ここで、Mei先生が感じたことは、生きている人だけが感じることができたのかもしれません。

 

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なぜ、Mei先生は今日、死についてブログを書くことにしたのでしょうか?なぜ死を思い浮かべたのでしょうか?

Mei先生の”今日”は、父を亡くした日だったからです。Mei先生の母は3年前に他界されました。その日にも、Mei先生はブログを書いています。

Mei先生は海外(日本)に住んでいて、コロナの影響があって、3年間、父と母のお墓参りができていません。
家族の記憶を思い出させることは、結局目新しい好奇心で終わってしまいました。

 

そこで、Mei先生は人生について考え、いくつかのことに気がつきます。

  1. 歳を取れば取るほど、会話は少なくなります。子どもたちが自由で無邪気に話したり笑ったりするのを見ます。成熟した子供のようになってみてはどうだろうか?
  2. 好奇心に目を向けなさい、馬鹿な真似はするな。
  3. どのように死を準備しても、常に僅かな恐怖はある。愛する人と人生を離れることへの恐怖は少なくとも楽しいものではありません。
  4. 恐怖は、自分自身にしか理解できなかった教訓を教えてくれる。恐怖に繰り返し直面することです。
  5. 私たちは誰でも人生に悲痛な思いを持っているが、愛する人を失うことは、死と同じような悲痛さだ。何年経っても、痛みは他に類をみない。比較にはならない。

これを読んだ皆さんの中には、特別な人を失って、なかなか立ち直れない人もいることでしょう。
あなたは一人ではありません。少しの間の人生の一時停止は私もしています。

 

そんな方がもしいらっしゃったとしたら、徐々に体の調子が回復するように祈っています。簡単ではないでしょうけれど、自ら始めてみてそれを継続してみることは価値があると思います。

(Mei先生もこの時期は本当に苦しみ、汗をたくさんかいた(=涙をたくさん流した)、前屈みになっていた(=絶望し下を向いていた)といっています)

 

最後に、この鍾乳洞に行ってよかったと。この場所は、Mei先生の両親は、独特の死について教えてくれて、Mei先生の人生の案内をしてくれたんじゃないかと。

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ちょっと、今回は重たい話がメインでしたが、楽しんでいただけたでしょうか?

あなたもこの場所を訪れることができると良いですね。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

Mei


ここまでです。

さて、本日は非常にセンシティブな内容となってしまい、楽しめたというよりは、皆さんご自身の大切な誰かのことを思い浮かべるきっかけになったのではないでしょうか?

どんな人も大なり小なり、辛い出来事は経験すると思います。ただ、誰にでも必ず訪れる死について、英会話講師であるMei先生が一個人として心に感じたままをブログにさせていただきました。

近年は、元気なうちから”終活”をする方も多いですが、実際に去る側ではなく去られる側もその後に自分の人生は続いていくのですから、あまりにも心が痛いです。
そして去られる側は、準備したとしても、いなくなってしまった虚無感や喪失感、言葉では簡単には言い表せない深い悲しみを抱くことは生きていく上では、感じていくのですから。

そんな中でも、ただ、少しでも笑って去れるように、笑わせて去れるように。

私たちは今日に感謝し、過ごしていきたいなと思いました。